高知地方裁判所安芸支部 昭和43年(わ)8号 判決 1968年12月17日
被告人 杉本厳
主文
被告人は無罪。
理由
本件公訴事実の要旨は、
被告人は、自動車運転者であるところ、昭和四二年一一月二五日午後五時五分ごろ、高知県安芸郡東洋町字生見所在の国道改修工事現場において、土石積載のため東向きに停止していた大型貨物自動車(ダンプカー)を運転して後退するにあたり、自車の約六・四メートル左後方で南向きに立つて作業の監督をしていた竹内八郎兵衛(当時七二年)を認めたが、このような場合、自動車の運転者としては、同人が自車後方を南に向つて横断することも予想されるから、同人に対し、右自動車を後退させる旨告げるか、警音器を吹鳴するなどして警告を与えたうえ、自車周囲の安全を確認しながら後退すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、右竹内が元の位置に立つていてくれるものと軽信して、同人に対し、前記方法による警告を与えず、かつ、後方左右に対する安全を十分確認しないまま、時速約三キロメートルで後退した過失により、同人が南に歩行しているのに気付かず、自車後部を同人に衝突転倒させ、更に、左後輪で轢いて、同人に対し、骨盤骨折の傷害を負わせ、よつて、同日午後六時三〇分ごろ、救護のため室戸市内を輸送中の普通乗用車内で、右傷害により、同人を死に至らしめたものである。
というにある。
そこで、審案するに、<証拠省略>を総合すれば、被告人は、自動車運転者であるところ、昭和四二年一一月二五日午後五時五分ごろ、高知県安芸郡東洋町甲浦字生見所在の一級国道五五号線甲浦改修工事現場において、土石積載のため東向きに停止していた大型貨物自動車(ダンプカー)を運転して後退するにあたり、自車の約六、四メートル左後方で南向きに立って作業の監督をしていた竹内八郎兵衛(当時七二年)を認めたが、同人がそのまま、元の位置に立っていてくれるものと考えて、警音器を吹鳴せずして、時速約三キロメートルで後退したことにより、同人を左後輪で轢いて、同人に対し、骨盤骨折の傷害を負わせ、よって、同日午後六時三〇分ごろ、救護のため室戸市内を輸送中の普通乗用車内で、右傷害により同人を死亡するに至らしめたことが認められる。
そうすると、問題は、右自動車の後退時において、被告人に業務上要求される注意義務の懈怠があったかどうかに存するから、以下、この点について更に検討する。
1 前示各証拠(ただし、死体検案書を除く。)によると、本件事故現場は、右まわりの急カーブを描いて南北に通じている国道五五号線を直線的に改修するべく、同カーブの内側土石の切り取り作業を行なっていた非舗装の工事現場であって、そのすぐ東方には、右国道が接着して、ほぼ南北にわずかに上り勾配となって通じており、更に、国道の東方は、目測約二〇メートルの絶壁を隔てて眼下に太平洋の眺望が開けていること、そして、右工事現場の西方は、土石が切り取られた後の山すそ様となつており、その南方は国道に通じ、その北方部分で土石切り取り作業が行なわれていたこと、被告人の運転していた大型貨物自動車(以下本件ダンプカーという。)は、右ハンドルで、車体の長さ七、一二五メートル、巾二、四五メートル、高さ二、五三メートル、荷台後部のアオリは存在せず、後退時においては、バツクランプが自動的につく装置になつており、被告人は助手なしで、右ダンプカーを運転していたこと、右現場へは、国道から出入りするようになつていたが、国道は、現場に通じる手前の南北二か所において、工事中の一定時間、車両等の交通をしや断し、右時間中には、工事用のダンプカーおよびシャベルカーが通行するほか、他の一般車両は通行できず、また工事関係者以外の者も立入、通行ができないようになつており、現に、本件事故当時においても、現場には、工事関係の車両および人以外は立入、通行していなかつたこと、また、現場では、その北方部分で切り取られた土石をシャベルカーがバケットですくい上げてダンプカーに積載する作業を行なつていたが、その積載にあたつては、本件事故当時についてみれば、シャベルカーは、北向きになつて、ほぼ南北の直線距離約一一、五メートルの間を土石のすくい上げと、本件ダンプカーへの積載のため、ほとんど方向を変えず、右ダンプカーと直角に位置した状態で、これと交互に前進、後退しており、他方、本件ダンプカーは東向きになつて、シャベルカーから土石の積載を受けるためほぼ東西の直線距離三、六メートルの間を、シャベルカーと直角に位置した状態でこれと交互に前進、後退を繰り返していたこと、そして、ダンプカーの後退時機については、まず前進(北進)したシャベルカーが、土石をバケットですくいこれをダンプカーの荷台内に落すために、バケットを徐々に上げながら後退(南進)することになつており、その間、ダンプカーは、邪魔にならないように前進(東進)して待機しシャベルカーが後退してそのバケットがダンプカーの荷台と丁度入れ替わるような時機をみはからつて後退(西進)するようになつていたこと、そのため、後退時においては、ダンプカーの運転者は当然、バケットの位置に注意していることになるものと考えられること、右現場には、事故当日、合計五台のダンプカーが出入りして土石運搬作業に従事していたが、シャベルカーは、ダンプカー一台につき、原則として、バケット三杯分の土石を積載していたため、ダンプカー一台に積載するには、ダンプカー、シャベルカーともに、交互に各三回の前進、後退を反復することになつていたこと、通常、ダンプカーは、シヤベルカーがバケツト三杯分の土石を積載すると、土石の高くなった個所をバケツトの底で押しつけるためとんとんと叩くので、それが積載終了の合図ともなって、捨て場に向けて出発することになっており、時にバケツト二杯分で積載が終了した場合には、シヤベルカーが終了の合図として警笛を吹鳴するので、これによつて、出発することになつていたこと、その積載開始から終了までの所要時間は、バケット三杯分にして一〇分間足らずであったこと、本件事故は、バケット二杯分の土石を積載したのち三杯目の土石を積載するため、被告人が本件ダンプカーを後退させた際に発生したのであるが、その時、堀川清澄の運転していたシヤベルカーは、前記土石切り取り場から三杯目の土石をバケツトにすくい上げて後退して来ており、そのバケツトは、右土石を本件ダンプカーの荷台内に落すために、高く持ち上げている状態であつたこと、バケツト二杯目の土石を積載して前進する時、被告人は、運転席から左方ウインドガラス越しに、被害者竹内八郎兵衛が作業の監督をして立つているのを認めていたが、三杯目の土石積載のため後退するにあたつては、従前、行なつて来たとおり、右方の前、後を運転席の右窓から顔を出して確認し、左後方は左方バツクミラーで確認したところ、いずれも異常を認めなかつたため、前記の時機方法によつて後退したものであること、そして、被告人が左方バツクミラーで左後方を確認した際、運転席から被害者の立っていた場所への見透しは死角になつていたが被告人は、被害者がその前回の土石積載の時からずつと同じ位置に立つて監督していることを知つていたため、場所が工事現場であるから、同人はその場所を移動する気づかいはないものと思つていたこと、右現場では、シャベルカーとダンプカーによる土石積載作業の方法は大抵の人が知つており、これらが現場作業の主要な役割を果していたものであるため工事関係者は、誰しも、この積載作業が円滑に行なわれるよう協力しており、また、現場における工事関係者(作業者および監督者)は通常むやみに所在を変えないものであること、被害者は、国道五五号線の改修工事を請負つていた竹内建設株式会社の社長であつて、工事現場における作業状況ことにシャベルカーとダンプカーによる土石積載作業が前記のような手順で一車につきバケツト三杯分積載されることを熟知しており、事故前において、同人は、被告人の認めた位置に約一五分間立ち止まつて作業の監督をし、事故直前には堀川の運転するシヤベルカーに向つて杖を上げて何ごとか指示していたこと、被害者が本件ダンプカーに轢かれた際の状態は、西方に頭、東方に足を向けてうつ伏せの形になつていたことならびに事故当日は薄ぐもりの天気であつたこと、がそれぞれ認められる。
2 ところで、およそ、自動車の運転者が、車両を後退させるにあたつては、常に後方の安全を確認すべき業務上の注意義務を負うことはいうまでもないところであるが、その安全を確認する方法としては、後退しようとする場所、時刻、後退速度、助手の有無その他車両周辺の具体的状況に応じ、時宜を得た方法を尽して万全を期さなければならないものと解される。そして、ダンプカーとシヤベルカーによつて土石の積載作業が継続、反復して行なわれている工事現場でダンプカーの運転者がシヤベルカーから土石の積載を受けるためにダンプカーを後退させる場合の注意義務について考えると、当該現場に、遵守されている作業規範が存在するとか、あるいは、当該現場が工事関係者(作業者および監督者)以外の立入、通行のない場所であり、かつ工事関係者が右積載作業の手順、方法を知悉していて、それが円滑に行なわれるよう協力している等当該現場に一定の作業慣行ともいうべきものが認められる場合には、運転者は、現場の具体的状況に格別の変化がなくかつ後退の方法についても、速度、方向、距離等において、従前と異なつた方法に出ようとする場合でない限り、工事関係者の安全は、一応その者が作業規範ないし作業慣行を守ることによつて、自ら確保してくれるものと信じて後退することも許されるものと解するのが相当であるから、運転者が、当該現場において、従前から行なつて来ている程度の後方安全確認の方法を講じて後退しており、その方法が現場の具体的状況に照らし首肯しうる場合には、たとえ工事関係者の安全を確認しないで後退したとしても、後方安全確認の注意義務は尽しているというを妨げないものと解する。
そこで、これを本件についてみると、前記1で詳細に認定したとおり、本件事故現場は、土石積載作業中は、工事関係者以外の立入、通行のない工事現場であつて、工事関係者(作業者および監督者)は、通常、むやみに位置を移動しないものであり、また、右現場にいた工事関係者は、大抵、ダンプカーとシヤベルカーによる土石積載作業の手順、方法を知悉していて、それらが、現場作業の主要な役割を果しているところから、誰しも、その作業が円滑に行なわれるよう協力していたことが認められるので、右現場には、一定の作業慣行が存在していたと認めてさしつかえないものと考える。そしてまた、被害者は、右工事を請負つている竹内建設株式会社の社長であつて、土石積載の作業の手順、方法につき十分な知識を有し、現に事故直前においては、積載作業の監督もしていたことが認められるので、被害者が、工事関係者であつたことについては疑念の余地がないものというべきである。次に、被告人の後方安全確認の方法について考えると、事故発生時において、シヤベルカーは、本件ダンプカーに積載すべき土石をバケツトですくつて、すでに後退し、これをダンプカーの荷台内に落すべくバケツトを持ち上げている状態にあつたので、次には、本件ダンプカーの後退が当然予定されかつ予測されるところであつたと考えられ、被告人は、このような状況のもとにおいて、従前行なつて来たとおり、まず自車左右の後方の安全を確認し、これに続いて、同一区間(三、六メートル)を、同一の速度(時速三キロメートル)と方向をもつて、いわば機械的に後退して、シヤベルカーから土石の積載を受けようとしたもので、その際、周囲の具体的状況については格別従前と異なつた点は認められなかつたのであるから、被告人の行なつた後方安全確認の方法は、右現場の具体的状況に照らせば、これを相当として、首肯しうるものであつたというべきである。更に、被告人は、前記三杯目の土石を積載するための後退にあたつて、被害者がその立つている位置を移動しないものと信じていたと思料されるので以上を総合して考えれば、被告人の前記後退方法には、何ら非難されるべき点は存しなかつたものというべきであり、従つて、本件事故は、被告人の予期に反して、被害者が、本件ダンプカーの後部に移動したため、惹起されたものとして、全面的に被害者の不注意にもとづくものと認めざるを得ない。
3 検察官は、被告人には、前記後退にあたり、被害者に対し後退することを告げるか警音器を吹鳴するなどして、警告を与えるべき業務上の注意義務があると主張するが、右2で認定した諸事情と、前記1の、被告人は本件事故前においても、被害者の面前で合計五回にわたつて、事故時とほとんど同様の手順、方法で後方を確認して後退していることおよび本件ダンプカーには、後退時に、自動的にバツクランプがついて、これにより後退の合図をすることになつていたことを考え合わせれば、被告人に対し、業務上の注意義務として、被害者に対する後退告知義務までも要求するのは酷を強いるものというべきであり、また、被告人が、警音器を吹鳴しておれば望ましかつたとはいいうるとしても、本件においては、その吹鳴にとつて代わる以上の前記後退を警告する客観的状況が存在していたものというべきであるから、警音器の不吹鳴が、直ちに本件事故発生の原因となつたものとは到底考えられない。更に、検察官は、被害者が老令であり、かつ、耳が遠かつたので、本件には、いわゆる信頼の原則は適用できない旨主張するが、前記1および2で認定した諸事情が存する以上本件をもつて、右原則の適用を排除すべき場合に該当するものと考えることはできない。
そうすると、被告人の本件事故発生時における本件ダンプカーの運転後退方法につき、過失を認めるべき証拠は存在せず、結局、本件公訴事実については、その証明がないことに帰着するので、刑事訴訟法第三三六条により、被告人に対し無罪の言渡しをすることとし、主文のとおり判決する。
(裁判官 西尾幸彦)